御理解の後に筑水信徒会の講話 削除したほうがいいかどうか要検討

昭和49年03月16日 春季総会



 昨日は、九大の試験の発表がありましたが、昨日田主丸の小野先生所の息子が、一年浪人をして、今年おかげで無事に合格して、もうそれこそ有頂天というのは、こんな事だろうかという様な感じで、まあ親子共お礼に出て来ましたが、今日また改めてお礼に出てきました。そしてあの、小野先生が言われるのに、去年一年浪人をしたと言う事がもう、こげん有難いこげんおかげち思うた事は、初めてでしたちいうてから話されますのに、去年まあ皆さんもご承知の様に。
 鹿児島のラサールといや、名門校中の名門の中学、高校ある所ですけれども、そのラサールの友達が、今度ぜんぶ九大で落第しておる事だそうです。もう一人かろうじておるのが、それももう一つはあの落第点で、それを今一生懸命にあれしとるという様な話を聞いて来て、もうお父さんはそれを聞いてきて、去年一年浪人したと言う事は、大変おかげだったとこういう。
 息子の方はおかげを頂いて、所がそれを今度は聞いた途端に今度は不安になった。もう出来た喜びよりも、是からの六年間のという学校生活が、もうこの今度は反対に不安で不安で出来なくなって来た。それで今日昨日一昨日あの人達親子ここへ来てから、その神様からその出来とるか、出来とらんかを聞きたいち言う様な事を、何時もこう熱中かけてる訳です。それで私の一挙手一動のなかからそれを見ろうとする訳です。
 もう昨日二、三日、三日前に来た時に、あんまりとにかくもう、あんまりあの色々と言われるからね、あのう出来た時の後の事を考えなさいと私が申しました。それで二人で今度はもう、間違いないぞというて帰った訳です。もう出来た時の後の事を考えれば良いと親先生が言うた。今度は間違いがないぞと言うて、喜んで帰ってその日はもう、本当にそれはお神酒も美味しい位にあってこの翌日なった。
 所がああいうその教育パパ的な方ですから、その試験の今年の点数がどの位取ったら合格するかと言う事を、まあある筋の知った人に聞いた所がね。私は数字ははっきり忘れましたが、何十何点取っとらなければ落第だと聞いた訳です。だから今度は途端又親子の者が、もう落胆して直ぐ又出て来ました。もうそれこそもうこう青菜に塩かけたごたる様にして出て来ました。それがねその点数が新聞に出て来るでしょう。それをすると五点足らなかったちです。それで私が申しました。
 あのねあんたがごつ悔やんだり、神様にこがしこ信心したっちゃ、もう同じ事と言いますから、あのそげな事いうたら、あのね例えばおかげの頂けれるおかげでも崩れるよち、私が言うた。例えていうならねあのう五点、十点位は、神様が、どうでん通さんなんちいう時には、ごまかしてでも通しなさるよち、私が言うた。それでももうそげなこつ言いなさったっちゃとても、そんなこつの出来るはずがない。もう出来んもんとして、昨日は息子はもう、出けていないのを確かめに行くというて出て行ったち。
 もうどんなに計算したっちゃ五点足らんのだそうです。所がねもうほんなギリギリの線でそのおかげ頂いてる訳です。だからその五点はだから神様がどこでか昨日はまあごまかして下さった。是が通る筈はないのが通ったからと。今朝もそれを言われる訳です。それ前はあの娘さんがあの高校ですかね。百人に二割位しか通らない高校、中学か高校がありますよね。是はまああそこの小野さん所の子供で一番出来ん娘なんです。
 だからもう是は出来んけれども、親としては通らせたいというて、お願いして通らんはずが通ったんです。そして又今度はくじで四人に一人という厳しいくじがあるんだそうです。そのくじにも当たってからおかげで通ったち。是も間違いないおかげとこう言う訳です。だから本当のやっぱりおかげと言う訳なんです。もう本当にもう私はおかげをお取次させて頂いて、あの心配なのはこういう様なのが一番心配です。
 今度はもうもうとにかくあのまあ難しかと、言う様な人達が皆んな大学、おかげで通りました。ところが一番熱心に一番あれだけの信心するなら、と言われた川上さんところが、昨日九大に受けとりましたが、出来ておりませんでした。そしたらもう親子で直ぐそのお礼お届けが、昨日あっております。そして又電話が架かって来て、帰りがけにこんな事も初めてというが、息子が自動車の運転免許を持っていなかったのにもう、たまたま引っ掛かって罰金取られた。
 もう私はそれを聞いた時にもう、本当に後が楽しいと思いましたですね。皆さん解るでしょうか。出来なかった事も、是だけの信心してから出来なかった事も、そしてその日にお礼に、わざわざ一家中でお礼に出て来て、帰りに自動車の事故じゃないけれども、そういうことになった時に、その事の直ぐお詫びの電話の架かって来て、今朝から又親子がお礼に出て行って、今年一年また、浪人させて頂いて又どうでも、念願の九大に来年は又受けさせて頂くという。
 ま、今年は是が一つ通らなかった、私がお取次ぎさして頂いたのに。というならば一番先に通らんならんとでしょう。けれどもそんなこっじゃないですね。そら小野先生がいう様に。去年一年本当に浪人させて頂いた事が。三百六十四日は本当にどうしてといいよったのが一日だけは、はぁそれがおかげであったと言う事が解った。一年のうち一日おかげと言う事が解った。一年の内三百六十五日、三百六十その四日位はね。有難いとこであとの一日位は、まあこうこうする事があっても良かろうけれどもです。
 そこで私がその英治君に今日又、親子でここにお礼お届けしてから又、帰りがけにまた、私がぶうっと腹かいた様にしとりますからまたでて、私はもう皆さんが有頂天になってお礼をいう時程、ぶうっとしてからもうはぁおかげ頂きなさい、サーお目出とうてなんてんいうた事がありません。また事実ですから後が。それから僕はもうそんな訳で不安で不安で堪らんが、是からの僕の何かそのま学校へやらせて頂くのに、ま心掛けなければならない教えを一言とこういうから私が申しました。
 先の事を夢に見たり不安に思うたりせんで済む様なおかげを頂きなさい。それにはね今月今日をねもう本当に学生であるならば、今日も十分自分ながらよう勉強が出来たという勉強をして行けと私がね。今月今日をね悔いないで済むだけの信心をさせて頂いてこそ、初めて明日が安心なのですよ。そしたら今日はそれが非常に肝に銘じた様で御座いました。もうほんに出来たというその一つの喜びがあります。
 所が聞いた途端にそのラサールのあの、自分達も秀才であったと言う連中が皆んな落第しておる。一名だけがかろうじてあの、まあ二年生に上がる事が出来るという話しを聞いて来てです。もう途端に後の、今度は五年間六年間の勉強が、もう不安で不安で堪らなくなって来た。そこで今日のお伺いになった訳ですけれども、私共信心させて頂く者がです。本当に先が楽しいと、この神様に思われる様なね。
 信心を一つしたいですね。おかげを頂いて有頂天になる様な信心じゃいけません。どうでも一つおかげを頂いて、今、英治君に私が申しました様に。今日一日を悔いのない信心をして行く事以外にはないです。その信心もない日に例えば安閑としておったり、安心しておりますちいうなら是は余りもの信心です。とにかく日々をです日めくって見て本当におかげであった。
 又本当はお粗末であった、御無礼であったと言う様な所も沢山御座いますから。そこん所を日々締めくくって何かそこに今日一日、いわば悔いのない一日であったと思える様な答えを出してから、翌日に掛からせて頂く信心。私は信心に掛かってるのですから。そこん所がなされて行かなければ、本当の安心というものは育ちませんですね。
   どうぞ。



(一度終わってから此の後お話が続きますが内容から昨日の総会のお話しの様です。)

 おかげが変わった、こういう形でもたれました。もう私は本当に、さっきの秋永先生じゃないけれども、感心するやら驚くやら、合楽の信心を此れ程皆さんが、この把握する事に、一生懸命になっておられるかと言う事を、感じました。皆さんの発表内容も見事でした。また、あのそれもさる事ながら、それを纏めて発表して下さる方達の、まあ若い層の方達ばっかりでしたが、もうおそらくあの、まあ是は手前味噌になりましょうけれども。
 ほんなら筑水なら筑水の信徒会で、こういう会が持たれて班別懇談をして、そしてそれを纏めた結果を此処でこう発表する。おそらく此の位内容のある、しかも此の位すんなりとした発表の出来れる、会はなかろうと私は思うたんですが、あの本当にね、結局それはどう言う事かたお言うと、合楽の信心をなら私所の、言うならば合楽精神と言う物をです。
 皆さんがあの様にして、精進しながら、発表力が見に着くと言う事は、やっぱりねあの、実際もう是はもう、内容がなからなきゃ発表は出来んのです。ね。ですからあのそれから感ずるんですけども、そう言う一つのお互い、銘々のあの信心の歩みと言う物を、是は私もこら、幾ら言うて聞かせたっちゃ、幾ら話したっちゃもういっちょん解らん様な気がする時が、時々あるんです。
 けれどもねこう言う風に、皆さんが解って居られるならば、こら又愈々繰り返しお話しに、矢張り飽く事無く続けさせて頂かねばならんと言う事を、改めてこう決意した様な訳で御座いました。
 先程あの、お食事の時に丁度、今度(松影会)が、(松影会)の信徒集会が、二十四日久留米の教会で持たれます。それを此処から女子青年の方に、一人発表してくれと言う事で御座いましたから、竹内恵美子さんが発表する様になっておりました。けれども向こうに通知をしなければならなかったのが、手遅れになっておったんでしょう。岸先生から電話が架かって来た。信徒会長に直ぐあの誰が発表するか、どう言う講題でお話をするかと言う事を、至急、電話で知らせてくれと言う事であった。
 それで恵美子さんは、今度お話させて頂く内容を作文して、そして若先生に見て貰ったんだそうです。それであの、私はそれを知りませんもんでしたから、そういう作文が出来ておると言う事も、あの知りませんでしたから、そうだねあそこは何と言うても、恵美子さんが発表するなら、マルショウのリーダーとして、また典楽の方の部員として、女子青年会員として、御用頂いておる事を通して、家族が勢を揃えて信心をしておると言う事。
 言うなら勢を揃えて信心をして、そしてこういう焦点に向かって取り組んでおると言う事をです。話すのだろうから、あの勢を揃えた信心という題で、竹内恵美子とあの、電話しとったらどうかと言うて申しました事でした。でその事をあの私が頂きます時にです。そう言う風に、何故言ったかと言うたら、あの是も頂いたんです。それでね是は竹内正憲、まっ君が、毎日お届けをしておる内容なんです。
 それで先程出せるなら、ちょっと持って来て下さいと、繁雄さんにあの、是日々のあの、お初穂袋なんです。ね。是を頂きますんです。皆さん是を、私は是だけですけれども、こう言う事を日々お取次ぎを頂いて願っておるのです。
 是は正憲さんです。親先生の事。合楽教会大発展の事。人の心に和賀心を。人の世に平和で平等な社会の為に。祖父是はおじいさんのですから、是はもう随分前の、今はおばあちゃんの一年祭、式年の一年のことを願っております。これはあの、おばあちゃんの、おじいちゃんの二十、こらは前のですから。二十五年の式年祭の事を願ってる。それから父、母への御礼。父母の健康の御願い。
 それから自分の正憲、それから自分のお友達の事等を、日々是は正憲さんがお届けをしておる内容で御座います。私はあの此の事を頂いてからその、勢を揃えた信心と言う事を感じたんですけれども、
 例えばほんなら、お父さんの竹内先生が、日々伊万里市市政の事に付いてのお取次ぎを願われます。毎日是はもう、沢山なあちらの伊万里支部の、市部員の方達の事を、あちらのお母さんが、一人ひとり信者の事を、願いがある事を、又お取次ぎを願われる。そういうお初穂が、実に沢山あります。ね。
 勿論恵美子さんも、勿論あの和則さんも然り竹内、所謂長男の正憲さんは、日々是のこう言うお届けをして一生懸命に、先程第一斑の方が申しておりました、あの家族ぐるみと言う事を申しておりましたがね。この家族ぐるみが、そのまま教会ぐるみの信心をです。私は頂いて行くと言う事が、教会の力になります。言わばそれが財産に、言わばれて来るのです。
 そう言う現れた姿が教団の発展、又は愈々和賀心時代を造って行く世界への、私は是が一つの波紋とも成る様なおかげになると思うんです。ね。どうぞ一つ皆さんがね、ほんなら先程も皆さんが言うておられます大祭を前にしての、信心意欲を、ね。一段とおかげを頂きます。
 それはね何と言うても、言わば勢を揃えると言う事が、私は一番だと思うです。ほんなら先程の見事な素晴らしいお話の内容とか、発表で御座いましたけれども、それが皆さんのほんなら、身に着いておると云う訳じゃないのです。私がもう本等に此処を叩かんばかりにして言うておる事を、皆さんが聞いてそれを言うならば、ね。努めてはおるけれども、ならそれがまだ、実っておるとは思われないのです。
 けれどもね。私の言うておる事を、皆さんがあの自分の信心の焦点として、信心を進めておられると言う事ですけれども、それが成就しておると言う事ではありません。ですからほんなら、今日此処にまあ五十名の方が集まってるとするなら、五十名の方がその事を勢を揃える。ほんなら皆さんの家族に五人づつあれば、五五、二十五、二百五十人の者が、その事に向かって、信心の勢信心が出来る。
 私は此の竹内さん一家の所の、今申しました様な信心の内容がです。非常にねあのもう、家庭の上にも個人自身の上にも、自分の隣人関係の上にも、又はそれが大きくは、社会、天下国家の事までにもあって、その祈り願いが、その行渡っておると言う事、そういう信心の家庭がです。合楽にはどうでも沢山出来ていかなければいけないと思うのです。ね。
 勿論大祭には、ほんなら家族を挙げて、店は言うならばお休みにして、御大祭を皆さん拝まれるでしょう。けども只御大祭を、その様にして拝むと言う事だけではなくてです。ね。
 こう言う願いの元に、信心の稽古をさせて頂いておる御礼が、御大祭と言う事になる時に、愈々御大祭の内容が、豊かな有難いものになって来ると思うのです。どうぞ一つ、家族ぐるみの、言わば合楽ぐるみの信心の焦点が、何処迄も天地の親神様の願いに応えられる
( 途中切れ )